「味付けはせんでええんです」料理が地球と人間を繫げる

タイトルについて

土井さんは、料理は食材の毒素を抜いて食べられる状態にするだけでいいと考えている。彼の、なんでもかんでも味付けをしなくても良いし、おいしく作る必要はないという主張は、私たちの料理をするハードルを下げてくれる。彼にとっての料理をするということは、自然から命を頂いていることを料理する人に自覚させるのだ。また、料理をすることは、食べる人のことを思っているため、人を愛することにもつながると土井さんは述べられている。よって、タイトルの味付けはせんでええんですというのは、味付けしないで食材のまま料理することを提唱しており、そうすることで我々は、人間と地球がつながっていると実感し、誰かを愛することができるのだ。

おいしいがもたらすもの

食欲というのは、おいしいと感じたいという欲望であると考えることができる。人間は飢餓しないために、栄養を摂取する必要があった。そこで、食べ物を求めるという欲求を備えることで、生存してきたという論が興味深いと思った。

生きるには、食べ物を食べれば、おいしいと感じるくらいで良かったのに、今ではおいしいものを探すことに脳を占拠させてしまう時があるかもしれない。これは、現代社会が、人間の食欲を利用してお金を儲ける商品(甘いもの、脂質の多いもの)に囲まれているからではないからだろうか。例えば、コンビニエンスストア、外食全般、ケーキ屋さん、それらを薦めるYoutubeやInstagramなどが挙げられる。また、お腹がいっぱいなのに、食欲が止まらないという現象は、おいしいと感じたいという欲求がこれ以上食べると気持ちが悪くなるという理性を吹き飛ばしてしまった状態であると考えられる。現代社会では、日常的に食欲を掻き立てられている環境に暮らし、ストレスを感じた時、やけ食いをする。

また、おいしいと感じるのは、自分の期待通りかそれ以上であった時であるため、そうでなかったときは食欲は満たされないのである。お腹がいっぱいの時はおいしいとは感じにくくなる。そう考えると、過食というのは、一生満たされない欲を満たそうとする行為だと考えると恐ろしい。

おいしいは悪なのか

私は、趣味に美味しいものを食べることと書いてきた人生である。この趣味は危険をはらんでいるのではないかと思った。おいしいものを求めることは、人間の根源的な欲求であり、尽きることがない。おいしいものを食べると幸福感を得ることができるのは、間違いがないため、おいしいものは悪ではないとここで言いきっておきたい。ただ、この欲求が行き過ぎると、おいしいものを求めることに気を取られて、他の大切なことに時間をさけない事態を招きかねない。また、欲求が満たされればよいが、必ずしもそうでないということにも留意する必要がある。

家庭料理が禁止される未来

この段落には、そんな考え方があるのかと衝撃を受けた。もし、AIが発達して人間が料理をしなくなれば、食材は腐っているかやどのくらい火を通すと安全であるかの判断ができなくなる。料理をしてきた人なら良いが新しい世代になって料理をしたことがない人が出てくると、危険だから家庭料理が禁止されるというわけである。これは極論ではあるが、料理という人間らしさが失われるうることに対して危惧すべきだと思わされた。今の時代、便利な商品が多くなっている。実際、これは料理する時間が短縮されているため、人間から料理を奪っているのではないかと考えた。

努力と喜びはひとつのもの

「探し味」という言葉を初めて聞いた。それは、自分から積極的に料理のなかにどんな味が入っているかを探すことで、西洋料理のような味が先に来るような料理では難しいが、家庭料理なら探し味が可能であるらしい。喜びというものは、努力を必要とすると言う。能動的に行動を起こせば、喜びという報酬がもたらされるという意図であると思う。確かに、お笑い、映画、ドラマ、Youtubeを見たりすることは努力を必要としないが、喜びはもたらさないかもしれないなと思った。見ている時は楽しく、次は何を見ようかなとワクワクするが、見終わった後は、達成感などは残らず、喜びとはかけ離れた、時間を無駄にしてしまった感が残るのではないだろうか。人間は努力をしないで出来ることについ流されてしまうが、それでは喜びは生まれない。これは理由を突き詰める必要はなく、そういうものだと経験則から知っていることだと思う。人生に喜びをもたらすものは、自分の意思で決めたことを実行に移すこと。これは労力のかかることなのだと認識できたので、意思ではないものに流されそうになった時に思い出したい。一方、流されてもいい時があるのではないかという意見が出るかもしれないが、私は意思とは関係なく楽な方に流された行動をゼロにすると宣言する。人間らしくていいじゃないかという言葉は、楽な方に流された後、自分の行動を正論化するための言葉のように聞こえる。厳しい?自分を信じることができずに自分との約束を破った時の保証なんてしたくない。今できる最大限のことをすることが土井先生のモットーである「一生懸命に生きる」ことにつながると信じている。

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