「一汁一菜でよいという提案」は、作って食べるということの本質を教えてくれた

美味しくなくてもよい

ハレとケの考え方が提示された。ハレはお祝い事の際に提供される特別な食事で、ケは日常の家庭料理を指す。また、美味しいっと脳みそが喜ぶような食事と、美味しいっとうなるような食事ではないが、体が喜ぶ食事があるのを知った。美味しいレシピやレストランを求める風潮のなか、家庭料理というのは安心できるものであれば特段に美味しくなくても構わないという土井先生の考えには驚いた。

作る側と食べる側がお互いに与える影響

作る人は、旬のものや、作る人の状況、食べる人の健康や状態を思い料理をする。食べる人は、作る人の愛情を受け取り、感謝を伝える。このようにコミュニケーションが生まれるということを学んだ。食べるひとは、作る人の思いに気が付く。気が付く人のことをもの喜びができる人ということを知った。確かに、何かをして、相手が気づいてくれた時はうれしい。

料理という一連の流れ

食事とは、何を作ろうか考え、買い物にでて、料理をして、食べて、片付けるという流れが存在し、ただ、食べ物を口に物を入れるだけではないということに気づかせてくれた。食事は、暮らすということそのものであるように感じられた。

土井先生のお言葉

いちばん大切なのは、一生懸命、生活すること。一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、純粋であることは、もっとも美しく尊いことです。

素敵な言葉だと思ったため、ここに記載させて頂きました。

食に関する思い出いっぱい

食事の思い出はたくさんある。一口サイズの梅韓国のりおにぎり、白い円錐型の器に入ったシーザーサラダ、ロールキャベツ、ごはん泥棒の若竹煮、魚のちじ、お母さんが揚げたてを食べさせようとするフライ、引っ越しの時のケンタッキー、裏が焦げたハンバーグ、鮭朝ごはん鮭弁当、テールスープ、韓国料理、正月の従兄弟が作る洋食、パパが玉ねぎ8個をみじん切りにして作ったカレー、親戚がそろう母の日のバーベキュー、結婚記念日に行く鉄板焼き、温泉旅行のカニ、日曜日の朝のパパのペペロンチーノ、夜の漁師と猟師のミートソーススパゲティ、豆腐屋の恵方巻、スシローの恵方巻、おじいちゃんにつくったオムレツ、肉先焼くとうまいすき焼き、水たき鍋と雑炊、3日くらい続くおでん、夜中に食べ過ぎてしまうプロテインオートミールケーキ。どんどん出てくるのでやっぱり食事とは、人生である。

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